グローバル人材議論の不思議

グローバル人材論語学学校をやっていると、業界内でグローバル人材というキーワードがよく使われ、飛び交っていることに気づきます。

使われ、飛び交っているだけでなく、「グローバル人材とは?」をテーマに、有料セミナーが開かれていたり、日本中ありとあらゆるところで、グローバル人材とは?について議論がされています。

そうした議論をネット上から見てみると、

『“グローバル人材”とは・・・』と、皆さんそれぞれの持論を述べ合っています。

ただ、そのどれもが、恣意的に、都合のよい解釈をして、意味を付加しているに過ぎないため、客観的な、グローバル人材の定義から外れていることになります。

単純に、「グローバル」という言葉の定義(by wikipedia)に従って、人材という言葉を加えるなら、

地球的人材→『ボーダーレスで、国を感じさせない人材』となると思います。

(中国語だと、グローバル=“全球“となり、国境線など見えない丸い地球がイメージしやすいですね。)

この『国という概念を感じさせない、地球は一つ!的な人材』が、グローバル人材の定義。
これで終了!でよいのではないかと思います。

これは今流行りのノマドにも行き着く考え方になると思います。

ただ、これで終了とならずに、多くのグローバルというキーワードを使った議論がここまで続き、定義をうまく恣意的に移動させてようとしているのは、グローバルをそのままを礼賛すると色々問題があるからではないでしょうか?

一般に、グローバル人材の反対語は、ナショナル人材(国を感じさせる人材)になるかと思います。この“国を感じさせる“というのには、また異論や定義などもでてくるかと思いますが、簡単には、国(Nation)の特徴をもった、という意味でよいと思います。

グローバル人材私には、グローバル人材が、無色なイメージであるのに対して、ナショナル人材は、色があるイメージがあります。

一般にグローバルの限界が見えてくると、グローカルという言葉を持ちだして、グローバルの定義を拡張する“逃げ“の取り組みが見られますが、なぜそこまで”ナショナル(国)”や”インターナショナル”という言葉を使うのが嫌いなのでしょうか?

私は、グローカルと恣意的にして逃げるのでなく、きちんと2つグローバルも、ナショナルも分けて、両方持って、状況に応じて使い分けておくべき概念だと思っています。ただ、日本は政府、企業、有識者含めて、圧倒的に、『グローバル>ナショナル』の盛り上がりになっているので、もう少し冷静にバランスが取れればなぁと思う今日この頃です。

グローバル盛り上がって、英語学校儲かる」と言ったところでしょうか?

うちも英語学校やっていますが、行き過ぎたグローバル熱には素直に喜べない現実でもあります。

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